
自分以外のセンスが生む新しいブランド像
彼はもともとブランディングを希望して入社したわけではありませんでしたが、言語化がうまく抽象的な話をまとめるのが得意で、美意識の高さも兼ね備えています。
これまでもホテルライクインテリアのブランディングを通してその力を発揮してきた姿を見て、私は「私の意志を形にできるのは彼しかいない」と確信しました。
私が「名品」と呼ばれる普遍的な価値を重視するのに対し、深代さんは「自分で編集すること」を大切にするタイプ。
その異なる視点やセンスこそが、新たなブランドを生み出すうえで大きな可能性を秘めていると感じたのです。
ブティックホテルの概念の違い
まず、最初に取り組んだのは、お互いが「ブティックホテル」と聞いて思い浮かべるものを保存して見せ合うことでした。
しかし、そこで気づいたのは、私と深代さんがイメージする「ブティックホテル」が全く違ったこと。
私は、ブルックリンのような少しストリートっぽさを感じるブティックホテルを想像していましたが、深代さんは、もう少しクリーンで整ったホテルをイメージしていました。
私が思い浮かべるニューヨークのホテルには、壁に大胆なグラフィックが描かれていたり、少しガタガタの道路から地下鉄の湯気が立ち上るような、ストリートの雰囲気がありました。
一方、深代さんが思い浮かべたのは、デンマークのような洗練されたデザインと、クリーンなインテリアが融合したホテル。
この違いをすり合わせる過程は、とても面白い体験でした。
ニューヨーク×デンマークの融合
最終的に、ニューヨーク風とデンマーク風のどちらの要素も取り入れることにしました。
深代さんからは、「ブルックリン風のストリート感を強めすぎると、低価格帯の雑貨屋さんのような雰囲気に寄ってしまうのでは?」という懸念がありました。
それを聞いて、私もとても納得しました。なんとなくコーヒーショップやドーナツ店にブルックリン風インテリアが採用されていることも思い出されて。
ちょうどその頃、私はパリの展示会に足を運んでいました。
そこで見たインテリアは、まさに深代さんが提案するような北欧らしいミニマルかつクリーンなスタイルが多く、「こちらの方向性のほうが良いのでは?」と考えるようになりました。
私はこのテイストの専門ではないので、基本的には深代さんに任せたいと思っていました。
ただし、「ブティックホテルが一般的にどうイメージされるか?」という視点は持っていたので、「おしゃれではあるけれど、一般的に想起されにくいデザインになりすぎないか?」という点を深代さんに問いかけながら進めました。
また、選び抜くスタイルを持つトーキッドのペルソナであっても、あまりに難解すぎる商品は手に取ってもらえなくなる可能性があるため、その点には注意してほしいと話しました。ただ、これも抽象的な話になりがちなので、多くの具体例をもとにお互いのイメージをすり合わせていった所が最も難しかったです。それが最も難しいポイントでした。私の心配しすぎなのか、それとも余計なことなのか—そんな迷いを抱えながらの対話でした。
言葉にしにくい部分を言語化する作業
ブランドの方向性をより明確にするために、まずは「言葉にしにくい点を言語化する作業」を行いました。
競合ブランドとの比較や、これまでの経験を振り返りながら、頭に浮かぶ単語をお互いに出し合っていくうちに、次第にブランドの世界観が形になっていきます。
私は深代さんの作る文章がとても好きで、彼が抽象的なイメージを言葉に落とし込む過程を見ていると、何度も感動する場面がありました。
下記のテキストは、プロジェクト初期に深代さんがまとめてくれた「トーキッドホテル」のコンセプト文です。
その言葉の一つひとつに、ブランドの雰囲気や方向性が映し出されていると感じます。
多くの往来と喧騒から一本外れた路地の先に。 近くを流れる水の、音と匂いがかすめた先に。 グラフィティの壁に沿って進む、鈍色の舗道の先に。 訪れたホテルで待つ、自分のために誂えられたような空間。 もっと寛いでいたいのに、すぐにでも街に飛び出したい。 部屋は、心惹かれるままに集めたコレクション。 部屋がもたらすインスピレーションは、私をもっと軽やかに歩かせる。
トーキッドホテル
豪華絢爛であることよりも、自分の感覚に素直であることの方が、本当の贅沢であるはず。 ブティックホテルは、規模や権威よりも独自の感性を重要視した都市型ホテルのこと。 一貫した志向や小さなこだわりが垣間見える、ブティックホテルのようなベッドルームを提案します。
トーキッドホテル
これほどまでにクリエイティブで魅力的な理想像を描き出しても、次に待っているのは「どうやって商品として具体化するか」という課題。
実際の製造過程で折り合いをつけるのは、簡単ではありませんでした。
ですが、この「言葉にしにくい部分」をきちんと言語化し共有することで、作り手とも共通認識を持ちやすくなり、理想に近い形でブランドを形にしていく道筋が見えてきたと感じています。
「トーキッドホテル」という名前に込めた意味
ちなみに、ブランドの名前「トーキッドホテル(TORCHID HOTEL)」は、深代さんが名付けました。
「Talk it(たくさん話す)」という意味も込められており、まさに私たちがこのプロジェクトを通じて重ねてきた対話のプロセスを象徴する名前だと思います。
さらに、「ブティックホテル」としての概念を持ちながらも、単なる宿泊施設ではなく、クリエイティブな作業が生まれる場所としての意味も含まれています。
私たちのスタイルにもぴったりな名前になりました。
ブランドづくりを任せることの面白さ
ブランドづくりの過程で、クリエイティブの部分にも深代さんの世界観が色濃く反映されました。
コラボ先の選定や買い付け商品群の検討、商品デザインやビジュアル、さらにはアンバサダーの選定に至るまで、限られた条件の中でローンチに向けて形にしてくれたのです。
コラボレーション先も、深代さんが普段から愛用しているブランドを選んだり、アートに関しては友人から意外なアイデアを引き出してみたり。
どうやら彼は「思いもよらない展開」を楽しむタイプのようで、その好奇心がブランドにユニークな魅力をもたらしています。
あるとき、深代さんと話していて「このブランド、まるであなたの人生を映し出しているみたいだね」と伝えたことがありました。
その瞬間、ブランドが単なる商品企画ではなく、作り手の価値観や経験がにじみ出るものだと、改めて実感したのです。
「創業者は、自分の個人的なストーリーでしかブランドを作れないのか?」という問いの答え
今回のトーキッドホテルのプロジェクトを通じて、私は「創業者は自分のストーリーでしかブランドを作れないのか?」という問いに、一つの答えを見つけた気がします。
私は、これまで「創業者は、自分の体験や価値観を反映させることでブランドを作るもの」だと思っていました。
しかし、トーキッドホテルを作る過程で、自分とは異なる価値観を持つ人の視点を取り入れることで、ブランドは新しい可能性を広げられると実感しました。
もちろん、まだこのブランドは成功しているわけではありません。
ですが、「自分の手を離れたブランドが、どのように成長していくか?」を見守ることが、今とても面白いと感じています。
ブランドの成長を見届けながら、新たな発見を楽しんでいきたいと思います。